幼少期 –
1975年 東京都葛飾区金町に生まれる。街は個人商店、畳屋、板金屋、ゴム工場、プラスチック工場など、様々な個人事業・中小企業で活気が溢れていた。自営業の父の商売道具であるドライバやスパナを遊び道具に育つ。小学生時代に登場したファミリーコンピュータに衝撃を受け、将来はコンピュータプログラマになることを決意。親にパソコンをねだるが当時のパソコンは価格が高く、当然のごとく却下。書店でコンピュータ雑誌を読み、夢への憧れが強くなる。
社会人時代 –
大学卒業後、公官庁向けシステムを開発する企業に就職する。数多くの防災システムに関わる中で、先輩が発した言葉は今でも強く心に残っている。「俺たちの作るプログラムは人の命に関わるんだ。絶対に手を抜くな。何回でも確認しろ。学習は怠るな。」
その後、共に働いていた上司に誘われてベンチャー立ち上げに携わる。創業メンバーは3人。雑用含め全て自分達で行う厳しい環境に揉まれながらガムシャラに働く。夢の中でもプログラムを書いていた時期。
しばらくして画像処理技術がスカウトの目にとまり、精密機器メーカの研究開発部門で働くことに。この頃、一緒に働いていたインド出身技術者達に衝撃を受ける。彼らの誰もが「自分達の活躍が国・故郷・家族を豊かにするんだ」と言う。休憩時間も「この漢字はどういう意味なのか」と聞いてくる勤勉性。更に上のステージを目指すんだというオーラでギラギラしている。日本がインドに抜かれるのは時間の問題かもしれないと脅威を感じるともに、日本はこのままではいけないという想いに駆られる。
人生の転換期 – 独立前夜
母親から電話が。父親が癌になったとの報告である。手術と闘病を経て今では回復したが、気がつけば自分達を育ててくれた親の世代は定年退職を迎える年齢になっていた。そして子供の誕生。かわいい寝顔を見ながら、「親の世代に変わって今度は自分達の世代が日本経済を作り上げるのだ」「次の世代の子供たちが安心して暮らせる社会をつくらなければならない」と強く決意する。
久しぶりに故郷の町を歩いてみる。個人商店は大型スーパーに置き換わり、工場の多くは都外へ移転していた。引退した元社長とITについて話をすると「僕ら位の世代には、コンピュータが関係することは良くわからないんだよ」とのこと。他にも何人かの中小企業・個人事業主と話をしたが「ITの必要性は感じるが、とても手が回らない」のが現実だった。日本経済はグローバル化、IT化、少子高齢化などの大きな構造変化に直面している。地域経済を支える中小企業が元気にならなければ社会は豊かにならないのだ。しかし、個人事業・中小企業は資金や人手不足で悩んでいる。一方、自分には彼らの力になれる知識と技術がある。
自分の持つIT知識・技術力で日本の個人事業・中小企業を支えたい。強い想いを胸に、ササエルの看板を掲げることにした。
資格など
国立大学法人 北陸先端科学技術大学院大学 知識科学研究科 技術経営(MOT)コース卒業
情報処理推進機構 情報処理技術者試験
- プロジェクトマネージャ
- アプリケーションエンジニア
- ソフトウェア開発技術者